ショパンとは1つ違い。文筆に才たけていたシューマンも同じ。そして今から200年前の1811年に産まれたのがフランツ・リストでした。この3人がそれぞれ二十歳になってパリでめぐり逢うことになります。この、今から200年前に産まれる作曲家たちはクラシック音楽に新しい息吹を吹き込むロマンティックな音楽を作曲していくだけではなくて、現在、私達がクラシック音楽を劇場やコンサートで接するスタイルを創り上げていきます。フランツ・リストの二つ下には近代オペラを開いたヴァーグナー、ヴェルディが1813年に生まれています。
2011年5月22日日曜日
2011年5月16日月曜日
【蓄音機の音】聴きませんか - 第276回 蓄音機でレコードを楽しむコンサートから《ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ニ短調 第1楽章から第4面》 http://ow.ly/4IIrh
ドヴォルザークはアルバイトでピアノの先生をしていたわけですが、(楽譜も買えないという状況でしたから)ピアノを借りる・・・買うではなくて、借りるお金さえなかったという事です。しかし、それでもピアノの先生をしていたわけです。そして転機が訪れたのが、34歳の時。この時にオーストリアの奨学金を得るために毎年作品を出していたのですが、何回目かに出した『交響曲第3番、変ホ長調』が当時の審査員のヨハネス・ブラームスの目にとまって、『あ、これは』と言う事で推薦されることになります。そして奨学金で、アルバイトしていた頃の倍以上の400グルデンを貰うことになって作曲に専念することができるようになりました。それからはブラームスの支援もあって出版社を紹介されたり、作曲家としての運が向いてくるのです。・・・(第276回 蓄音機でレコードを楽しむコンサートでの解説よりテープ起こし) http://ow.ly/4IIrh
音楽ファンの永遠の名盤 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
2011年5月10日火曜日
【蓄音機の音】聴きませんか - 第276回 蓄音機でレコードを楽しむコンサートから《ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ニ短調 第1楽章から第3面》 http://ow.ly/4IIrh
ドヴォルザークが8歳の時に学んでいた音楽の先生から、「この子(ドヴォルザーク)は音楽の才能があるから、あなたは(宿屋の)跡継ぎにさせたいと思っているかも知れないけれども音楽では必ず成功する」って(ドヴォルザークの)父親を説き伏せて音楽学校にやりなさいと薦めたわけです。それで12歳の頃、後にプラハ音楽院になるブラームスとも所縁有る学校に進学。そして、18歳で10人中2番の成績で卒業します。しかし、やはり、それからは大変で音楽で身を立てようとは難しいことなので父親もなかなか承知しなかったのですが、先生がしゃむり薦めるものだから渋々様子を見ては居たのですが、14〜15年は苦労して楽譜も買えないという状況でした。・・・(第276回 蓄音機でレコードを楽しむコンサートでの解説よりテープ起こし) http://ow.ly/4IIrh
音楽ファンの永遠の名盤 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲
2011年3月16日水曜日
うれしいひなまつり [昭和10年] - 第274回 蓄音器でレコードを楽しむコンサートより
春の関係の歌で、これは良く御存知の「うれしいひなまつり」。今が時期ですね、街の中でもこの曲が流れていると思います。サトウハチローの作詞で、川田孝子の歌でお届けします。
これは資料に寄りますとですね、サトウハチローが最初の奥さんと別れまして、子供が3人おったそうですけどね。それを引き取って次の新しい奥さんと生活している時に、まぁ、子供たちが可愛そうだ。上の2人が女の子でしてね、小学校6年生と4年生がおりまして、そこで大変豪華な雛飾りを一式買いまして、お座敷に飾ったそうですね。


